特集コラム

Column 3 荻窪名所探訪

2011/04/26

天沼弁天池公園

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JR荻窪駅北側、天沼八幡神社の先に、「天沼弁天池公園」があります。広い敷地内に、池と「杉並区立郷土博物館分館」が見えます。区内有志「花咲かせ隊」の方々が手入れをする花壇では、季節の花が咲いています。

現在の「天沼弁天池公園」にある池は人工的に作られたものですが、この地にはかつて、水がこんこんと湧き出る「天沼弁天池」がありました。池の中の島には「天沼弁天」がまつられていました。周辺はもと「雨沼」と呼ばれた沼地で、「天沼」という地名の由来と考えられています。

水が湧き出た「天沼弁天池」は、300坪ほどの池だったと言われています。また、池は、「井の頭恩賜公園」の井の頭池を水源とし隅田川に流れ込む神田川の支流・桃園川の源流の一つでした。

桃園川は「天沼弁天池」から東へ流れ出て、中杉通りを越えて南下します。中央線の路線沿いにある「阿佐ヶ谷けやき公園」から、中央線の南側を流れます。阿佐ヶ谷・高円寺・中野を抜け、中野区と新宿区の境にある末広橋付近で神田川に合流します。

桃園川は現在も暗渠(あんきょ・下水道のこと)として地下を流れています。「阿佐ヶ谷けやき公園」からはじまる「桃園川緑地」は、暗渠化された桃園川の地上部分です。「桃園川緑地」は遊歩道として整備されていて、ここでも「花咲かせ隊」の方々による季節の花を楽しむことができます。

桃園川は、江戸時代から昭和初期まで、天沼村・阿佐ヶ谷村・馬橋村・高円寺村・中野村の灌漑用水として使われていました。昭和35年(1960)頃までは、スイレンの花が咲き、魚が泳ぎ、子どもたちの遊び場でもありました。また、大正時代までは、雨乞いの行事が執り行われる場所でもありました。
時代が昭和に入ると、周辺の住宅化などで湧き水が枯れ、その後、「天沼弁天池」は埋め立てられました。

現在「天沼弁天池公園」となっている場所には、昭和30年から40年代にかけて「池畔亭」という料亭がありました。その後、民間会社の研修施設として利用されていましたが、由緒ある土地とその由来を将来に伝承するため「天沼弁天池公園」として整備され、再び、子どもたちの遊び場と、区民の憩いの場所となりました。

天沼弁天池公園
住所:杉並区天沼3-23-1

文・取材 / 竹内みちまろ

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