特集コラム

Column 1 荻窪の歴史

荻窪の歴史
2015/10/26

太宰治『富嶽百景』にも登場する「碧雲荘」の今後

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太宰治と言えば、その生涯を終えた三鷹市が有名ですが、彼が師と仰いだ井伏氏が住む荻窪でも5カ所、転居を繰り返しています。

昭和8年2月には天沼3丁目741番地、同5月には天沼1丁目136番地、昭和11年には同じく天沼の「照山荘アパート」、そして、荻窪時代、4番目の転居地となったのが天沼1丁目238番地(当時)の「碧雲荘」、途中、水上で小山初代さんとの心中未遂を経て、再び天沼1丁目213番地を下宿として、作家活動を展開していました。

5回の転居先の中でも唯一現存しているのが、4番目の転居地である「碧雲荘」ということになります。

太宰治が暮らした場所は、国内でも移築・公開されている青森県の「旧藤田家住宅」、山梨県にある現在は太宰治の記念館にもなっている「天下茶屋」と記念館として公開されている青森の生家「斜陽館」くらいしか残っておらず、三鷹市に残っているのは太宰の作品に登場する店や銭湯の跡地に案内板が建てられている状況です。

JR三鷹駅近くにある「太宰治文学サロン」には、三鷹市内の太宰ゆかりの地や、墓所である「禅林寺」のMAPが掲示されていますが、当時の面影はその案内板の写真で知ることしかできません。

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その点、「碧雲荘」は窓がサッシに替えられたこと以外は、太宰が下宿していた当時の面影を偲ぶことができる貴重な文化資産です。

建物正面に立ち、2階左手にある窓が太宰の部屋だったそうです。

また、『富嶽百景』に登場する便所は、建物西側にあり、荻窪税務署の駐車場側から見ることができるのですが、すでに杉並区による特別介護老人ホームの建設が進められていることもあり、工事現場の囲いの外から遠巻きにしか見ることができないところまで、工事が進んでいました(2015年10月現在)。

建物の西側2階は『富嶽百景』に登場する“便所”があります。丸タイルが貼られた昭和らしく、少し寒々しさを感じる便所です。

以下は『富嶽百景』(『走れメロス』新潮社文庫収録)からの抜粋。

――東京の、アパートの窓から見る富士は、くるしい。冬には、はっきり、よく見える。小さい、真白い三角が、地平線にちょこんと出ていて、それが富士だ。なんのことはない。クリスマスの飾り菓子である。しかも左のほうに、肩が傾いていて心細く、船尾のほうからだんだん沈没しかけてゆく軍艦の姿に似ている。
(中略)
あかつき、小用に立って、アパートの便所の金網張られた四角い窓から、富士が見えた。小さく、真白で、左のほうにちょっと傾いて、あの富士を忘れない。

 
ちょうど、ある衝撃の告白によって太宰の精神状態が絶望に満ちている時期に過ごした「碧雲荘」だけに、『人間失格』の原型とも言える短編『HUMAN LOST』もこの地で執筆されたことを裏打ちするような描写が印象的です。

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現状は、2016年春に杉並区によって取り壊される予定となっていますが、この記事が“荻窪の歴史”になってしまわないことを祈るのみです。

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